ごあいさつ

 

大学受験を目指す君たちへ ~大学受験の意味を考える~
ブレーヴアウト 創立者(現教務総括) 赤星 一統

 ブレーヴアウトは,私が大学生時代に勤めていた中学生のための補習塾を卒業し,大学受験を目指そうとした生徒たちに請われて自室のアパートでこっそり開いた「寺子屋」的塾に端を発します。「brave out」とは,後に目的語を取り,「〜にへこたれない」「〜をなんとしてもやる」という意味を持つ英単語です。

 当時,私は,修士課程研究のまっただ中で,研究に追われる毎日を過ごしていました。その中で,10名程度の受け持ちを抱えることは 決して容易なことではなく,また修士2年次に何の因果か研究所が千葉県柏の葉に移転することになって,柏の葉での「研究」の後に多摩地区へ,そして多摩地区での「授業」の後に終電で「研究」へという日々が続きました。

 まさに「brave out」していたわけです。しかし,私は特殊な人間では決してありません。猪や狸に囲まれた熊本県の田舎育ち,普通の悪ガキ(そのような意味では特殊かも?)でした。そんな私を鍛えてくれたのは,受験勉強に他ならない,そう思うようになったのは完成した修士論文に署名をしたときです。

 思えば,田舎から出たい,人に負けたくないという理由でめちゃくちゃ勉強をしました。いかにもありそうだが,今となっては時代錯誤のような動機(脱田舎)と,自然の中で育ったガキ大将精神(人に負けたくない)だけが私を突き動かしていたと思います。まあ,当事者としては二度と受験はしたくないほど勉強はした,それだけは言えますね。

 そんな私が始めた塾ではございますが,今こうしてかつて様々な塾で知り合った盟友たちと新たな「ブレーヴアウト」を本格始動できることを喜ばしく思うと同時に,よりたくさんの受験生にブレーヴアウトを全身で味わっていただきたいと思います。本気で取り組むすばらしさを必ずやお伝えできると思います。

 受験生に毎年送っているメッセージをここに掲載します。ブレーヴアウトがどのような思いを抱いて受験生たちを育てているかを垣間見てもらえればと思います。

受験勉強は役に立つのか?という問いに対して
「受験勉強なんて役に立つのか」毎年のように何人もの生徒達から発せられる問いです。もっと根源的な問いとして「学校でやる勉強ってやる意味あるんです か?生きていく上でなんにも役に立たないんじゃないですか?」というのもよくあります。毎回そういう質問を受けるたび正直苦労してきました。
たとえば「数学なんてやる意味あるんですか?文系なのに。」この質問に文部科学省的に答えるとすれば,「数学を通して論理的思考力を修得する」というこ とになります。この答えについて,議論をふっかけることはしません。まさにその通りです。しかし,実際にsinθ やlog x を目の前にして苦戦する子どもたちに,それでは漠然としていて効力を持ちません。結局,「受験に受かっていい大学に行きたいのならあきらめてやりなさい。 どうせやる,もとい,やらされるのならば最大限の効果が得られた方がいいでしょう。いい大学に行けば将来が広がるから。」と逃げるような答え方をしてきました。
確かに,生徒達からすれば学校の勉強は一つの「やらなければ仕方ない」ものであって,そのものが直接的に実際の生活に関わっているかというとその実感が もてない,というのは事実でしょう。私でもかつてそう感じたこともあります。文系なのに数学をやる,理系なのに古文をやる,のように「~なのに,」という 言い方がその象徴たる言い回しです。いかにも無駄といわんばかりに。それよりも,もっと実利的なものを学んだ方がいいのではないのか?
では,なぜ全ての子どもたちが不快に感じる勉強を強制する世の中の仕組みが存在するのでしょうか。学ぶこと,学ばせることの意義とは?

適応力を磨く絶好の機会としての受験

生物学的な一つの通念として,「外界の変化に適応して変化できる個体は,そうでない個体よりも生き延びる確率が高い」というものがあります。生物が絶え ず変化し,その細胞一つ一つが常に代謝し続けるのは,こうした変化に対応する生存戦略上の必然です。

この論理を学びに当てはめた考察があります。内田樹氏(仏文学者)はこう指摘します。
「子どもが学ぶべきことは『変化する仕方』です。学びのプロセスで開発すべき事は何よりもまず『外界の変化に即応して自らを変えられる能力』です。」(内田樹『下流志向』講談社刊)
外界の変化は往々にして残酷です。かつて全世界を牛耳ったハ虫類の巨大生物が一瞬にして絶滅したことはご存じでしょう。このような厳しい自然界で,生き 物たちは生まれては絶滅し,その繰り返しのなかでときには一見非効率な,たとえば有性生殖の手段などさまざまな工夫と,天文学的な確率で生じる突然変異を もって外界の変化に対応してくることを学んできました。そして,自らの体温を代謝によって一定に保ち,多少の気候変動にも耐えられる動物たちが登場し,我 々の祖先となっていきます。
今や全生物の頂点に立つヒトでさえ,決して順風満帆ではなかったはずです。環境の変化と伍していくために,ヒトは知能を用いて対応してきました。知能を 駆使して自然界を学び,その結果は,ときに直接的に実利に結びつきました。もっとも,すべての学びが実利的だったかというと,個別的に見て,ほとんど生活 上「意味がなく」,その日を暮らすことに精一杯だった庶民達の目に触れることがなかったものが多かったのも事実です。
しかし,こうした学びの試行は積み重なって体系化し,結実して我々の生活を徐々に変革させます。その結果文明が誕生し,ヒトから「人」へと現在の繁栄に つながったのです。人は,こうした事実を経験則として黎明期から気づいていたからこそ,人は常に学び続けてきたのです。どんな時代であっても,どんな人間 であっても辛いよりも楽な方がいいに決まっていますが,そこをあえて辛い学びを積み重ね,学問という形に仕上げてきたのは,外界の変化に適応するという生 物本来の本能がそう突き動かしてきたのかもしれません。
このような人類学的な学びの意義を考えたとき,「受験で試したいのは何か。」という問いに一つの結論を導くことができます。それは,学びのプロセス,セ ンスやヒラメキだとかではない,まさにそこまでの過程を一つ一つ積み重ねてきたかどうかを試したいのです。
学びのプロセスを大事に積み重ねてきた者は,積み重ねてきた学びのフレームワークを通して今後も学びのプロセスを継続していきます。常に訪れる社会情勢 の変化や,嗜好の変化などさまざまな変化に晒されるなかで,いかにビジネスを成功させるか,どのような政策を 用いて社会厚生を改善するか,こうした崇高な目的に果敢にチャレンジする人は不断に学び続けています。何も勉強やビジネスに限ったことではない。農業,職人の方々に至るまで,誇りを持ち胸を張って生きている人々は普段の学びを,不断に継続している。

そうした人材を輩出するために,人は学校を作り学ば せるのです。どうやって学ぶか,をまず学んで欲しいから。西欧諸国に比べ明らかに出遅れていた19 世紀に,日本がいち早く先進国への仲間入りを果たしたその背景に,江戸時代から大事にしてきた寺子屋教育,素早い国民皆学への対応があったことを忘れては ならないでしょう。
よく日本の受験制度は,欧米諸国と比較して,「入るのが難しく,出るのが簡単」,というような批判を受けますが,日本の受験制度が学びのプロセスを試験 しているのならばそれはとくに問題ではないでしょう。欧米諸国は学業成績(内申点)の算出方法が日本と比べて明確に体系化されており,それによってプロセ スの積み重ねを見ているだけで,日本では内申点の算出にいささか主観的要素(学校の先生の好き嫌いや試験問題のばらつきなど)が強く,学校によってまちま ちだったりしますから,そんな不確定な情報に頼るより,広範囲で難しい入試を課してみるのは効果的な手段といえるでしょう。
つまらなく思える内容で,量も膨大で辛い受験勉強ですが,一つ一つ真剣に対峙して乗り越えていくそのプロセスは,将来研究職に就こうが,ビジネスの世界 に身を置こうが必ず糧になります。社会に出れば,常に不確実性に晒されます。生物の進化の過程と同様,その不確実性は往々にして残酷な変化をもたらしま す。仕事が出来るということは,その都度その都度の変化に敏感に適応することが出来るということです。理科に社会に,古文に数学に,分野も多岐にわたり, その都度脳のさまざまな部分をフル稼働させる学習のカリキュラムは秀逸です。どこでどう変わるかが分からないのが社会です。
辛くても困難でも乗り切っていくだけの基礎体力を受験勉強を通して身につける,これが受験の意義であると考えます。それも,もっとも脳細胞がよく育つ 10代のうちにできるだけの最大限の努力をして受験とおつきあいしてもらいたいと思います。

 

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